真田太平記 (七)関ヶ原

読 書
真田太平記 7

三成挙兵の報で東軍が動き出す。本田忠勝・井伊直政を軍監に任命して福島正則軍を先鋒に大垣へ侵攻する。東軍第二軍である徳川秀忠は上田攻めの準備を整えた。真田昌幸・幸村は秀忠に降伏の使者を送るが、これが昌幸達の柵で秀忠軍を痛めつける。

一方西軍は、寄せ集めの軍隊のため統率が取れないのに加えて、三成の戦争経験のなさや、東軍との密通を疑いお互いが疑心暗鬼になっていた。

家康が関ヶ原に到着して開戦。西軍が押しまくるが・・・ご存じの通り小早川秀秋の裏切りで西軍は壊滅してしまった。

真田草軍団は、お江が単独で家康を狙うが惜しくも打ち逃す。この影響で影武者を立てた家康に壺谷又五郎達が襲い掛かって仕留めるが・・影武者だっった。又五郎に多くにの仲間も討死してしまった。お江は大怪我をするが生き残った。

戦後の処理は、真田信之は旧領に加えて三万石を加増された。昌幸・幸村は本田忠勝や信之の努力により、高野山九度山へ流罪となった。佐助は昌幸・幸村と一緒に九度山向かう。