中公文庫 浅田次郎著
万延元年(1860年)夏 江戸城で寺町奉行・水野左近将監、勘定奉行・松平出雲守、町奉行・池田播磨守の三人は、姦通の罪を犯した大身旗本・青山玄蕃お捌き悩んで「御定書百箇条の四十八・密通仕置の之事:ひとつ、密通いたし候妻、密通の男、ともに前例に従い死罪」それでも武士の場合は自裁(切腹)であるので本人が得心しなければならない。
しかし、青山玄蕃は刃向かいもしないし自白もしたものの口書きに花押はせぬ。まちごうているのは御法ゆえ、自裁するほど悔悟はないという。「痛えからいやだ」と言っている。最終的に玄蕃は蝦夷松前藩へ流罪となった。
この罪人を送り届ける押送人に町奉行所見習与力・石川乙次郎と最古参同心・弥五さんが選ばれたのであった。乙次郎は昨年の春まで御先手鉄炮組同心の次男坊。三十俵二人扶持足軽家の冷飯喰いだったが、武芸に秀でいると噂で、二百石取りの町奉行与力・石川家に婿入りしたのだ。幼い十五歳の妻・きぬに卒中で倒れた義父と乙次郎を悩ます癇癖の強い義母と八丁堀の屋敷に住んでいる。
小伝馬町から乙次郎・弥五さん・青山玄蕃の三人は出発。流罪地は蝦夷・松前だが送り先地は津軽・三厩港で往復約2ヶ月の旅になる。青山玄蕃の使用人と妻子が千住まで見送り、千住大橋を過ぎると、弥五さんはこんな役目は御免だと言って遁走してしまう。
乙次郎と玄蕃の二人旅。この道中で青山玄蕃の人となりを知り、武士とは・人とは何かを感じる乙次郎であった。
黒書院の六兵衛の良かったが今作品はもっと良かった。読むべし。