双葉文庫 井原忠政 著
来年の大河ドラマは「どうする家康」この小説もさらに注目されるだろう。さて、10作目を11月初旬に購入して途中まで読んで机に置きっぱなしだったので、サラサラと読み切る。
天正十三年八月二日上田城で鉄砲大将植田茂兵衛討死。三日後二十年来の友人・乙部八兵衛この知らせが信じられない。退却時に殿軍を務めて、傷ついた部下を見捨てていけずに敵陣にとって返し、百名ほどの敵に囲まれて討ち取られた聞く。乙部は植田家の後継も心配する。
しかし、茂兵衛は生きていた。真田源三郎信幸が城番を務める戸石城の土牢に囚われていたのだ。もちろん無傷ではなく、右腕と左太腿を槍で刺し抜かれいた。花井庄右衛門は重症で左脇腹を鉄砲で撃ち抜かれいてる。最後まで茂兵衛に従っていた清水富士之介、依田五助、仁吉の3人は無傷で一緒に囚われていた。
茂兵衛討死の報に上司の大久保忠世は、さっさと鉄砲大将をお気に入りの部下に切り替えて部隊編成を終えてしまった。家康は西からの攻撃を予想して北条と親密な連携強化を図るが・・秀吉側はすでに徳川の敵ならないほど大きくなっていた。それでも過激な家臣達は抗戦を厭わない。そこで・・。
土牢暮らしも三ヶ月過ぎた頃に真田昌幸が茂兵衛に会いに来た。用件は徳川の重臣である石川数正が家康を裏切り、秀吉に寝返ったの情報だった。
信幸の助けもあって戸石城から脱出。家に帰り着くが・・二十年数年前線で戦ってきた茂兵衛はやることがなく、暇をもて余していた。そんな時に家康から身辺警護にと声が掛かり側近衆となる。
一方天下の情勢は、秀吉が関白宣下を受けて関白羽柴秀吉となり、朝廷も動かせる力を持つ秀吉までに成長していた。「惣無事令」領主同士の戦いを禁じ違背者へは厳罰をもって臨むと秀吉は発令する。戦国の世は終わりで、今後は法と権威が世を統べるとの宣言である。
この間に北条との和睦や本拠地を西からの攻撃に備えて駿府に移す。平八郎が移転を担当するので茂兵衛が補佐をして無事に勤めを終えた。
秀吉は家康との戦いを避けて懐柔するために妹の旭姫を家康に送り、それでも動かない家康に実母の大政所送り込んできた。さすがに潮時と家康は大阪へ向かうことになり、この護衛で大阪行くことになる。
秀吉との対面も無事終了し、駿府に帰ってた家康は軍制の大改革を発表。家康の領土は五カ国となり、幹部それぞれが自治運営を行うに従って力を持ち、本家を越えようとすることを牽制することも含めて家康直属の部隊を厚くすることになる。
この直属部隊の鉄砲百挺部隊を新設し、これを茂兵衛に任せると辞令が降ったのだ。物頭から番頭に昇進し、これから北条攻めに・・朝鮮の役・・関ヶ原と続くのか。