東日本パス第二弾は上田城&善光寺。当初の予定では前日に上田城だったがネットで水曜日は有料地区お休みと載っていたので今日にした。しかし・・・11月から北櫓(きたやぐら)、南櫓(みなみやぐら)は休みで入れなくてガックリ。
さて、上田は東信州の端で上州と接点。武田領時代に北条領と境目であったために小競り合い続いていた地域だ。武田二十四将であった真田昌幸が築城し、長男・信綱が引き継ぐが長篠の戦いで信綱と次男・昌輝が討死して、三男の真田昌幸が当主となる。
上田城・真田昌幸が一躍有名になったのは二度の徳川家との戦いであった。第一次上田合戦は徳川軍7000人に対して真田軍1200人で大きな損害を与えて撤退させた。第二次上田合戦は関ヶ原へ向かう徳川秀忠軍3万8000を8日間に渡り足止めし秀忠は関ヶ原に遅参してしまった。現在残る上田城は、ほぼ真田昌幸が構築したようだ。
上田駅を歩いて真っ直ぐ行けば良いのに、左との案内があったために左側から回り込むようにして到着した。丘ではなく、崖の上に櫓が二つ建っているのが見えてきた。
ドラマでよく見る門。東虎口櫓門。右側に真田石と言われ、昌幸の長男・信之が松代に移る時に父の形見でこの石を持って行こうとすると微動だにしなかったと言う。東虎口櫓門の両脇に南櫓・北櫓と真田神社の先に西櫓があり、江戸末期まで七つ櫓がありましたが四つは取り壊されたそうです。
崖の下から見上げると立派で戦意を削ぐ効果はあって、ここから鉄砲を撃たれると防ぎようがない事が分かります。城郭は急峻な崖で回りは堀・・深堀。しかし、場内は何もなく神社だけで閑散としていた。
そんな事で場内にある真田神社へお参りを済ませて朱印を書いてもらっている内に真田井戸へ。この井戸は城外へつながっていると言われています。櫓を下から見上げて写真を一枚と思ったが降りるより登りがキツそうなので辞めて、善光寺へ向かう。