真田太平記 (五)秀頼誕生

読 書
真田太平記 5

文禄二年。真田昌幸47歳、信幸28歳、幸村27歳。朝鮮での戦況は一進一退。大阪城の秀吉の側室淀の方が男子を産んだのちの豊臣秀頼である。

秀頼誕生で秀吉の後継者であった豊臣秀次が切腹。朝鮮での戦いは一旦休戦するも講和条件が物別れれで再び各地で激戦が繰り返される。この時に石田三成らの文治派と、加藤清正・福島正則らを中心とする武断派が対立を深めていた。

秀吉が亡くなり朝鮮での戦いも終わり真田家も九州名護屋から帰還。家康が掟破りの振る舞いで前田利家が動くが、この利家も亡くなってしまった。家康の行動に我慢ができない石田三成が動くが武断派が三成を襲うが家康の仲立ちで三成が領地の佐和山へ帰って行く。

一方、真田家の忍者軍団は壺谷又五郎の指示で、今後のために各地に秘密の基地を開拓。お江も又五郎の手配で京都から上田へ帰還。上田では向井佐平次の息子である佐助が立派な忍者に成長していた。

鈴木右近は柳生の里で心身共に鍛錬し、京都で真田信幸と再会し信幸の家臣として真田家に復帰する。

乱暴者の樋口角兵衛は、叔父である真田昌幸に認められなため、信幸の配下へ入っていた。

やっと時間は関ヶ原に突入するかな。長い小説である。